第9話 迷走の時代 †服属のスパイラル †1595年 †1月 エンリケ3世がグラナダ貴族と結婚。(6/2/5)のバルタサス・カルロスが誕生。期待の持てる後継者だ。 1596年 †3月 オスマンがマムルークを攻撃し、5州を奪っていた。マムルークの最期が近い。 1597年 †4月 ロシアとオスマンが停戦。オスマンはロシアとイメレティに計6州を渡し、クリミア方面の領土が2つに分断された。それにしてもこの防衛戦争の傍らでマムルークから5州を攻め取っていたことになるが…。 宗教改革の時代ボーナスで、専用ボーナスのスペイン・テルシオを採用。カッチカチになる。 10月 マムルークと停戦。3州割譲に加え、4州を周辺諸国に割譲、さらに2国を独立させて大幅な弱体化を図っている。 フランスのように我が国が美味しいところをいただく結果になればいいという目論見だが、流石にやり過ぎなような気もする。
1598年 †1月 オーストラリア植民地成立 6月 ポルトガルを同君下位にしてポルトガルとは停戦。 12月 オスマンと9カ月で停戦。今回は布石のためのイチェル1州と同盟国チュニスからの1州獲得だけで済ませた。 1599年 †4月 ガスコーニュの統合完了 6月 ブルターニュにフランスの再征服CBで宣戦。イングランド、サヴォイを巻き込む 1600年 †1月 ビザンツも統合! 同月。イングランドと停戦。領土のやり取りはないが、アイルランドの2か国との属国関係を解消させ、同盟国とも切れてもらう。 同月。2年前にオスマンから獲得していたイチェルから今度はカラマンを属国として復活させる。 諸国の堅塁 †1601年 †1月 スウェーデンと停戦。フィンランド中核州8州すべての返還に加え、スペイン本国も1州を獲得した。 この頃、放置気味だったステート枠を目いっぱい使って可能な限りテリトリー数を減らすことに取り組んでいる。テリトリーが多すぎて汚職への悪影響がかさんでいたのに気づいた。 必要以上にあちこちで州を細かく獲得すると、あっという間にテリトリー数を圧迫してしまう。どうせ取るなら、同じ地域、ステートから複数の州を保持するようにした方がテリトリー地域の数が増えなくて済むようだ。(この仕様はver1.29まで?) ロレーヌ、アロディアも包囲網を結成で反応してきた。どうにかしたいがどうにもならない 11月 そうこうしているうちにまたまたノーサンバーランドがイングランドに吸収されてしまった。ちゃんと保証しておかないから…。 12月 うかつな進軍で、次々にボヘミアの大軍に殲滅を食らう。非常にキビシイ! 一方的に大きな被害を出した後、傭兵スパムから、反撃に転ずる。 1602年 †6~7月。 週や日の単位で移動を読み合う攻防の末、傭兵の力でなんとか戦線を押し返した。この後潰走殲滅をキメる戦いも増えてくる。 8月 突然の訃報。皇帝エンリケが世を去り、皇后摂政になる ファッ!?。ポルトガルが同君を離脱!? 世代交代時に関係度が低いと同君離脱するんだっけ…。そりゃあそうだよなあ‥。完全に失念していた。 停戦後直ちにクスコに宣戦。対包囲網戦で9か国を引きずりだす。 ブルゴーニュ戦を早く切り上げたかったもう一つの理由はこの包囲網が怖かったから。 この時期、同時並行でキルワとも戦争していた。交易拠点になるモンバサだけ確保。 1603年 †4月 クスコ及び包囲網各国と金で和平。宣戦先を他から孤立しているクスコにしたので、戦勝点を稼ぐのは楽。 絶対主義の時代に自治率下げをやりたいので、そろそろ可能な州では自治率を上げておく。(効果があるのかどうか疑問)。 腐肉の臭いに魅かれて †1604年 †ベンガルと、アフリカのヤカからそれぞれ武力恫喝。 11月 カラマンのコア再征服でオスマンに宣戦。 1605 †3月 セルビアにまで便乗宣戦されるオスマン。 10月 戦勝点は十分稼げたので、今回はカラマンのコアを全て返還と、ついでに勇ましい我らがセルビアのコアも返還してもらって停戦。 停戦したと思ったら、珍しいことにアユタヤから援軍要請。特にメリットはないが、まだアユタヤとは仲良くしたいので、今回は受けておく。 今回は忘れずにペグーやマランクの州に関心をつけておいた。(特に役立つことはなかった) 1606年 †5月 サヴォイに再征服戦争をしかける。 12月 セルビアはあっけなくオスマンに返り討ちにあった。なんとハンガリーがオスマンの防衛側に参戦していたらしく、両国に領土を分割されていた。 1607年 †3月 権勢アイデアを外交評判プラスまで進めた。属国併合がはかどるだろう。 7月 アユタヤの援軍要請に応えたアヴァ戦が2年かかって終結。攻城戦もうちが割と頑張ったのだが、獲得は1州のみでちょっと損した気分。 10月 トスカーナと停戦し、ジェノバを独立国として解放させる。将来ジェノバノードを牛耳るためとても重要なポイントだ。 このころ、弱体化したデンマークは、スウェーデンとハンブルクに攻撃され、ユトランド半島領の大半を喪失。 12月 今度はドーフィネにフランス領の返還を要求する。 もともとドーフィネはスペインとフランスの戦争で独立させた国だったのだが。その際リヨンのコアの権利はフランスは放棄しているはずだが、他の2州についてはドーフィネがハイエナで勝手に奪った領土なのでフランスは正統な返還を主張できる。 ブルゴーニュも出てくるが今回はHRE外のドーフィネへの援軍なので皇帝が絡まないのは大きい。 1608年 †4月 ドーフィネと停戦。 しっかりコア2州を返還させるつもりの戦争だったが、なんと、フランス地域は開発度が高く、再征服でも危険なAEが周辺に飛んでしまうことに気づいた。 7月 ブルネイとの戦争でも1州を獲得。 1609年 †1月 都合よく弱小国家に落ちぶれたデンマーク。こうなったらもうやることは一つしかない。 ハンブルクさん、我らの敵を打ちのめしてくれて大変感謝しています。ついでに共通の敵にあたるため陸軍も通らせてくださいな。あとその辺りの領土は後ほど回収に上がりますんで。 5月 いっちょあがり。もう赤子の手をひねるようなもの。 現在の属国は、フランス、デンマーク、フィンランド、カラマン。かつての強力な競争相手がそのまま、あるいは分割されて配下にならんでいる形だ。 6月 ギニア地域のベニンに宣戦。西アフリカ周りの交易額が増大してきたので、象牙海岸の国に少しでも抜かれている現状が許せなくなってくる。 宗教的混乱の国難が進行し始める。あまりこれと言って解決できそうな方法がない。 9月 ベニンを完全併合。 反省メモ †
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