AAR/北欧の狂犬

第四章 スウェーデン・リトアニア継承戦争



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これにはヴァイキングと言えども流石に弱気に。



ブルターニュ遠征(1599~1600年)

 コーンウォールを落としブリテン諸島を制圧したノルウェーの矛先は海峡を隔てたブルターニュへと向けられた。
ブルターニュはその立地上、フランスの玄関口であり、またイベリア半島への前線基地にもなることからエイリーク4世は非常に重要視していた。
外交属国化を試みるもブルターニュはこれを拒絶。ここに両国は国交を断絶し戦争へと突入した。

 しかし両国の力の差は圧倒的であり戦争開始からわずか一年で屈服。海軍軍需品産出プロビを含む2州割譲で戦争は終結した。
また後にフランスのミラノ侵攻に従軍した際、その対価としてブルターニュから更に1州割譲を受けている。

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記念すべき初めての対外戦争における海軍軍需品プロビの獲得。
このブルターニュ3州は長い年月を掛けて軍事要塞化し、いつの日か来るであろうフランスとの戦争に備えた。



1607年 ドイツ国内のメクレンブルク公国外交属国化

1611年 ウェールズおよびリガ外交併合

1613年 北米西岸にてカリフォルニアが成立。
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カリフォルニアでのゴールドラッシュにノルウェー移民もニッコリ


アイルランド侵攻(1612~1617年)

 第六次イングランド征服戦争においてイングランド王国はグレートブリテン島の領地を全て失陥、またプロテスタントへの改宗を強制されていた。
プロテスタントの守護者たるノルウェーはすでに力を失った旧イングランド王国をカトリック国からの保護を名目に侵攻を開始した。

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イングランド王国とは名ばかりのアイルランド王国を属国に組み込む。
またイングランド王国の植民地であったコロンビアとメキシコが独立を果たした。


スウェーデン継承戦争(1623~1628年)

 植民地政策の大成功によるノルウェー帝国の繁栄とは対照的にスウェーデン王国は暗黒期を迎えていた。
バルト海の覇権を握る為、大陸へたびたび出兵するも成果が上がらず幾度も戦争に敗れ、フィンランドを失い、ついには大陸最後の砦であったマリエンブルクも失っていた。
ここに至りスウェーデン王国はノルウェー帝国に対しての敵視政策を改め、同族の誼を頼りにおよそ一世紀ぶりに婚姻関係が結ばれた。

 しかしこのスウェーデン王国の弱体ぶりを時の皇帝であるクリストファー3世は見逃さなかった。
この頃のスウェーデン王国は跡目争いで国内が乱れており、これを好機とみたクリストファー3世は婚姻関係を結んだことにより継承権は自身にあると主張。
1623年シェラン島に駐留していたノルウェー陸軍主力はエーレスンド海峡を渡りスウェーデン領内に侵入。ここにスウェーデン継承戦争が勃発した。

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風前の灯のスウェーデン王国。もはや頼りになるのは同盟国のモスクワ大公国のみ。



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しかしモスクワ大公国は大軍を擁するもノルウェーと軍事レベルが3つも遅れており、全く勝負にならなかった。
あっけなくモスクワを落とされ降伏した。



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1628年 スウェーデンの現国王は退位を強要され、de la Gardie宗家が傍系のノルウェーに飲み込まれることになった。



これによりスウェーデン国内の海軍軍需品およびその軍事力は全てノルウェー帝国の手に渡った。

リトアニア親征(1631~1634年)

 スウェーデンを手に入れたクリストファー3世の次なる野望は対岸のリトアニア大公国に向けられた。
対リトアニア前線基地であるリガからリトアニアが保有するバルト海沿岸の海軍軍需品を求めてクリストファー3世が自ら兵を率いて親征を開始した。

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リトアニアと同盟国のポーランドを野戦で纏めて打ち破り、海軍軍需品産出プロビ2州を含む3州割譲で講和。



1633年 北米西岸にてアラスカが成立。これにより北米沿岸を全て押さえたことになり北米独占が約束された。

第一次アジア侵略戦争(1637~1641年)

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アジアの小国家を蹴散らし2州の海軍軍需品産出プロビを得る。


リトアニア継承戦争(1642~1647年)

 アジア遠征を終えてリトアニア及びポーランドへの二度目の親征を計画していたクリストファー3世のもとに急報が舞い込む。
リトアニア大公国の直系が途絶えポーランドとの同君連合が成立。
これによりバルト海における均衡が崩れることを危惧したノルウェー帝国はこの継承を認めずヨーロッパ全体を巻き込んだリトアニア継承戦争が勃発した。

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リトアニア国境に兵を配置し終え、二回目の親征を行おうとした矢先の出来事であった。
ニア【Go to War!】(ポチー



 ポーランド側にオランダ、ハンザ同盟、ノヴゴロドが参戦し、ノルウェーは東西で包囲される形となったが、すぐさま盟友フランスを味方に引き入れ西部戦線を任せ後顧の憂いを絶ち、クリストファー3世は自ら兵を率いてリトアニア、ポーランドに全力で当たることになった。

そんな戦乱の最中、リトアニア領内で攻城戦の指揮を執っていたクリストファー3世が戦死、有能な王太子ハーコン7世*1が代わって戦争の指揮を執ることになった。

戦争勃発から5年後、オランダ、ハンザ同盟、ノヴゴロドは降伏し、孤立無援となったポリ連合にもはや抗う力は無く、リトアニア大公国の相続放棄を条件に講和が締結された。

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スウェーデンに引き続きリトアニアも手中に収めることに成功する。これによりリトアニア保有の海軍軍需品が全てノルウェーの勢力下に収まる。
この頃のリトアニアはモスクワとクリミアにそれぞれ飛び地を抱えている。



ノルウェー帝国建国からわずか50年足らずで版図が一気に2倍近くに膨れ上がりノルウェー帝国は最盛期を迎えたのであった。

第四章 まとめ

 序章の戦略方針の中で記述した
(4)ブルターニュ地方の制圧
(5)バルト海にて橋頭堡の確保
(6)インド及びアジア・オセアニアへの進出
を攻めたことになるが、(4)は達成。
(5)は偶然も絡んで非常に上手くいった。残りバルト海沿岸ではポーランドとポメラニアから海軍軍需品を奪うのみである。
(6)も進出を開始、こちらも順調である。
イングランドを潰したときから薄々思っていましたが、リトアニア継承によってこれは実績達成できるなと確信に変わりました。
あとはひたすらヨーロッパとアジアを停戦明けごとに交互に叩いていくプレイの繰り返しになる感じです。

1650年の世界地図

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ノルウェーは北米、オーストラリアを独占。モスクワがぐずぐずしている間に極東シベリアにも植民開始。
マムルークは滅亡。マリ帝国とインドのどっかの国は最盛期を迎えた。


第五章 帝国主義 前編


*1 クリストファー3世の能力は1-3-1、王太子ハーコンは6-4-2。べっ、別にわざと戦死させたわけじゃなんだからねっ!(棒)

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Last-modified: 2014-11-18 (火) 01:58:10