AAR/砲兵は戦場の神である

壁を作れー! 肩を並べ大盾を構えよー!
お前達、一人々々が石となり、意思の力で強固な石の壁を作るのだ。
そうすれば誰にも打ち破る事の出来ない、無敵の部隊が誕生する。

技術LV12 Pedreroの段階

さて砲兵100%部隊を運用するにあたり、本来であれば砲兵の解禁されるLV7から始めるのが筋ですがLV10~12のPedreroの段階から始めます。

理由としましては砲兵を大量に雇う資金力がゲーム序盤には存在しない。
スペインNIを全て解禁させるために、アイディアを3種類コンプリートさせる必要があったとの理由からです。

 
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1569年 マムルーク戦を終えた段階の領土と財政規模がこちらです。

アラゴンでゲームを開始し、経済力をつける為イタリア・北アフリカ・新大陸で領土を拡大。
さらにスペイン変態後に交易利益の増大を目指し、商業共和制へと政体変更を行いました。

アイディアは経済・交易・拡張をコンプリートしております。

 

少し時代を戻しまして1563年 マムルーク戦での一コマです。砲兵100%部隊のデビュー戦ですね。
自軍の強化はNIとプロテスタント化による恩恵のみです。

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左から順に開戦1日目・2日目・13日目です。

1日目 まず火力フェイズで前列配置の砲兵による斉射。相手のモラルを半分削りました。
2日目 戦闘正面幅を超える砲兵の運用により、余剰砲兵が自軍後列へと配置。支援砲撃を行います。

よしこれはもう勝ったな、風呂行ってくる(慢心)。

13日目 戦いはまだ続いております……なぜだろう?
    よくよく見ますと白兵フェイズでの敵軍攻撃により、自軍前列が半壊していますね。
    戦闘力を維持しているのは側面攻撃を行う前列部隊と、後列配置の砲兵だけのようです。

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自軍30k vs マムルーク軍24k 死者約12k : 約12k

とりあえず勝利は出来ましたが、キルレシオと費用対効果を考えますと砲兵100%は有効に見えませんね。

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では戦闘正面幅を無視して過剰に砲兵を投入してみましょう。

左から順に開戦1日目・2日目・3日目です。

2日目 一方的な側面攻撃を受ける敵軍砲兵の兵数が442まで減少。
3日目 一方的な側面攻撃を受ける敵軍砲兵の兵数・士気が共に0まで減少。戦闘能力を完全に失いました。

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開戦から12日目で勝利 敵軍砲兵の損害が歩兵に比べて圧倒的に多い事が特徴ですね。

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では両軍が戦闘正面幅を完全に満たし、一方的な側面攻撃が発生しない場合ではどうでしょうか。

左から順に開戦2日目・3日目・9日目です。

2日目 なぜか両軍の配置に乱れがあり戦闘正面幅を完全に満たす前列がおりませんね。早くも実験は頓挫です。
3日目 配置が落ち着いたのか両軍は戦闘正面幅を完全に満たしました。実験は続行です。
9日目 両軍の士気がほぼ等しく5割失われた状態です。
   敵軍の白兵攻撃によりスペイン最右翼の砲兵は戦闘能力が半減しております。
   この様子ですと恐らくスペイン中央の砲兵は、戦闘能力を完全に失っているでしょうね。

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自軍58k vs マムルーク軍54k 死者約31k : 約18k

互いに増援が到着した為ノイズが入りましたが、大軍同士の戦闘ですと100%砲兵は実力を発揮しきれない様子です。

技術LV16 Chambered Demi Cannonの段階

1621年 技術LV15の士気上昇 技術LV16での砲兵強化を受け、砲兵100%部隊が2度目のマムルーク戦を行います。

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軍事強化はこのような状態です。富豪アイディアをコンプリートした為、傭兵への規律+2.5%が実戦闘では追加されます。
この段階では傭兵砲兵30kくらいが部隊へ混合されているはずです。

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左から順に開戦1日目・2日目・3日目です。過去の経験から支援砲撃を生かす為、砲兵は大部隊運用が有効だと学びました。

1日目 まず火力フェイズで前列配置の砲兵による斉射。相手のモラルを3割り削りました。
2日目 戦闘正面幅を超える砲兵の運用により、余剰砲兵がさらに自軍後列へと配置。支援砲撃を行います。
3日目 相手のモラルを6割り削りました。今まで気がついておりませんでしたが、初日から敵軍砲兵も一部が前列配置されておりますね。
    きっと自軍の部隊数が多い為、戦闘正面幅を満たすために敵軍砲兵が前列へと引っ張り出されているのでしょう。

よしこれはもう勝ったな、風呂行ってくる(慢心)。

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自軍54k vs マムルーク軍54k 死者約20k : 約17k

とりあえず勝利は出来ましたが、初日に比べて敵軍量が増えていますね。約37kだったはずですが。
この頃になると敵味方の軍量が多いせいか、戦闘中に敵軍の増援部隊が到着する事もしばしば。
どうしても戦闘が長引いてしまいますね。

となりますと初日の時点から支援砲撃をフル活用できるよう、さらなる砲兵の大部隊運用が必要となりそうです。

スペイン方陣とは?

 架空歴史解説です

後世の歴史においては火力馬鹿、生まれる時代が300年早すぎた間抜け等々。
何かと揶揄される事の多いスペイン方陣ですが、これは良くある誤解でしかありません。

なぜならば方陣とは、攻撃ではなく防御を目的とした方円の進化系に過ぎないからです。

スペイン方陣の成り立ちを知る為にはまずスペインが共和制スペインではなく、
アラゴン・ナポリ・北イタリア・カスティーリャの同君連合であった、狂女フアナの率いる君主制イスパニアの時代まで遡る必要があります。

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イスパニアの国是であったイスラム教徒からの国土回復運動を記念して、狂女フアナが描かせた宗教画ですね。

聖ミカエルが悪魔を打ち倒しております。
着目すべきは聖ミカエルの武装です。片手剣・丸盾・袖の無い胸鎧・肘あて・膝あて・顔の見える兜、そんなところですね。

一般に皆さんが西洋の騎士と聞いて想像するであろう、顔の見えない全身鎧と比べると明らかに軽装です。
これは当時イスパニアの主力であった歩兵部隊ロデレロをモデルとしている為ですね。
新大陸を我が物とした征服者コルテス。彼の率いたイスパニアの栄光を示す輝かしい部隊と言えば、皆さんは分かる事でしょう。

イベリア半島は山地が多く、イスラム教徒との争いはカスティーリャの名が示すように城(山岳要塞)での戦闘が主体でした。
ロデレロは片手剣という特性上射程が短く乱戦に適しており、イスラム教徒のゲリラ戦を相手に有効な歩兵として活躍したのです。

その一方で山地での移動を目的とした軽装である為、敵兵が隊列を乱さず整然と並んで突入する場合には無力です。

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こちらは狂女フアナ亡き後の空位時代、スペイン継承戦争を描いた絵画です。
スイス傭兵とアラゴン竜騎兵又は軽騎兵が戦っております。

イスパニアの支配下であるイベリア半島とサルディーニャ島は馬の産地として有名です。
狂女フアナのお膝元であったアラゴンでもまた、山地での移動に適した竜騎兵又は軽騎兵が支援部隊として発展しておりました。
彼らの役目は視界の狭い山地での長距離偵察・伝令・攪乱・戦闘後の追撃と多岐にわたっていたそうです。

方やスイス傭兵ですが、彼らは中世を通じて伝統的に最も頼りになる傭兵として様々な国から恐れられておりました。
規律の高い戦闘のプロフェッショナル集団であり、混乱に陥ることは少ないともっぱらの評判です。
またスイスは神聖ローマ皇帝位を独占したハプスブルク家の故地としても有名ですね。

神聖ローマ皇帝がイタリア・スペイン王位を狙い、欧州最強のスイス傭兵を率いてローマへと進軍。
イスパニアの歴史に残る亡国の危機です。

さらに詳しく絵画を見て見ましょうか、やはり着目すべきはスイス傭兵の長槍ですね。
槍兵の強みは剣の届かない位置からの攻撃であり、整列すれば騎兵の突撃さえも防ぎきる圧倒的な射程の長さです。

アラゴン竜騎兵又は軽騎兵の側は、スイス傭兵へと近づく事すらできず敵前旋回。
去り際に短銃での牽制を行うものの、スイス傭兵の隊列は一切乱れる事無く有効打にはなりえません。

イベリアの山地とは違い、遮るものの無いイタリアの平地では槍を自由に振り回せます。
ロデレロもまたスイス傭兵へと近づく前に、5メートルを超える長槍の前に倒れる事となりました。

さて、神聖ローマ皇帝の前に連戦連敗を重ねるイスパニア。
あわや滅亡かと思われたときに現れたのが、我らがエル・グラン・カピタン。風車男ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャですね。

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敗戦続きで指揮官不在。もはや追撃戦で刈り取られるだけであった敗残兵をまとめ上げ、サラリア街道に一夜城を築いた伝説の男です。

彼が行った起死回生の一手とは、奇しくもあのグラナダと同じ籠城でした。ですがただの籠城ではありません。野戦築城による籠城です。

狂女フアナによる国土回復運動時代からの古参兵であった彼には、イスラム教徒と戦った経験から狭い要塞では長槍を有効に扱えないと看破できたのです。

もちろん永久要塞を築くには時間と資材が圧倒的に不足しております。
その為彼は引く馬のいなくなった荷車をイタリアの各地へと風車の羽のように配置し、即席のバリケードを迷宮要塞へと変えたのです。

 

はい、何ですか? 早く動くことを重視したイスパニア軍が、ほとんど動かない籠城で強みを生かせるのか?

とても良い質問ですね。ですがここにもまた良くある間違いが含まれています。
イスパニア軍とは元来、早く動く事を目的とした軍隊ではありません。なによりも機動を重視することが戦闘教義でした。

一般的に要塞を目の前にして軍隊のとるべき行動は、3つしかありません。突撃・迂回・包囲です。
そして軍隊とは明確な作戦目的の元機動を行う事によってのみ、最大限の力を発揮できます。

カピタンは敵軍の眼前へと次々に要塞を出現させることにより、相手の思考と行動を制御、自由な機動を奪い取る事に成功したのです。

カピタンは神聖ローマ皇帝と13度戦い、13度全てに敗れました。スイス傭兵の隊列を打ち破る事も、長槍をへし折る事も出来ませんでした。
戦術家としてみれば三流です。ですが同時に彼は一流の戦略家でした。

なぜならば神聖ローマ皇帝が補給切れで撤退するまでローマ入城を阻止し、イタリア・スペイン王としての戴冠式を行わせなかったからです。

 

ここに至るまで砲兵のほの字も出てきませんが、カピタンの野戦築城による籠城こそがスペイン方陣の原型とされています。

カピタンの登場はスペイン戦史において重要な転換点です。

1 イスパニア歩兵と騎兵は欧州の平地にて無力である事。

2 スイス傭兵に限らず、フランス、ポーランドの様な歴戦の猛者である重装騎兵部隊が相手であっても勝利を望みえない事。

3 カスティーリャ内戦に続いたスペイン継承戦争によって名家の子弟が大きく数を減らした事。

これらの事実から君主制イスパニアは人的資源の損耗を極端に恐れ、防御的な軍隊を作り出す必要に迫られたのです。

スペイン方陣が完成するのは、共和制スペインの時代を待たねばなりません。
そしてスペインへと砲兵の運用を決断させたのは、誰もがよもやと思い誰もがやはりと思うあのイスラム教徒でした。

次回へ続く

目次

  •  宗教改革の時代 1444-1621

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Last-modified: 2020-02-15 (土) 13:59:37