正史 †395年に起こった東西ローマ分裂は、まだ帝国の崩壊を予見するものではなかった。 西ローマ帝国内に唯一存在していた大司教座を統括するローマ教皇が力をつけるに及んで、帝国内に居住を始めていたゲルマン民族が独自の道を歩み始める。 http://manapedia.jp/text/file_view?file_id=38_20130507201205より引用 以後ブリテン、ガリア、イベリア、イタリアの大半はユスティニアヌスの征服の一時期を除き帝国の一部とは見做されなくなり、地中海沿岸とは異なる世界がフランク王国、神聖ローマ帝国として展開していくこととなる。 もう一人の皇帝 †中東の征服が一段落し旧西ローマ帝国が視野に入ったのは1605年。Naplesの旧領を回復し、ローマの奪還を成したころでした。 Sienaとその同盟国Franceから領土を接収し、外交関係を確認しつつ次の宣戦布告のタイミングを計っていたのですが、継続している北アフリカ征服と軍事費の増大による財政悪化が重なり、なかなか仕掛けられない状態が続きました。 財政再建のため交易路にあたるGulf of AdenとGujaratを制圧しようと、Ethiopia、Mewarの属国復活と再征服を行っていました。同時にFrance・Portugal(同君下位のCastile含む)の海外領の回収を実施しています。 両国の最盛期(16世紀中盤) 1610年前後で滅亡 最終段階の両属国。最後の戦争時に意外な形で役に立ちました。 17世紀中盤はAustriaを相手に属国Hungaryの旧領回復とBohemia・Galiciaの同君化の対応に追われ、いよいよ欧州の征服を始めようとしたときに面倒なことが発生しました。 皇帝となったFrance(後にScandinavia)は各地を帝国領にしていきます。 ローマ帝国を復活させるには消し去りたい神聖ローマ帝国ですが同盟関係などからなかなか全選帝侯をつり出せず無駄な時間を過ごしてしまいました(選帝侯になったMemmingenを無駄に同盟国にしたり)。 そんなこんなでやきもきしつつ1700年を迎え、帝国主義の時代が到来します。 フランク王国と西ゴート王国の幻影 †西ローマ帝国から独立した王国に端を発するFrance(フランク王国→西フランク王国→フランス)と PortugalはAragonも含めて4回の戦争で全領土の回収を果たします。 その余波として、アメリカ大陸にUnited States(旧Floride)が誕生し、神聖ローマ帝国は解体へと追いやられることとなりました。 同時期にオーストリアとイタリアの回収も果たし、1761年、Byzantiumはガリアとヒスパニアを皇帝の手に戻し、一人の皇帝を中心としたヨーロッパは一時の安寧を取り戻すのでした。 イタリアのFerraraはAustriaから回収した属国 |