AAR/スルタン絵日記

コンスタンティノープル

最初の一日

1444年11月11日
ヴァルナの戦い、オスマン帝国とハンガリーをはじめとする十字軍との戦いの翌日である。
そのためかハンガリー、ベネチアなど多数の国と5年間の停戦期間が設けられている。
そしてなぜかビザンツとだけは停戦していない。初期バージョンでは違った気がするのだが。

停戦期間中に落としてね、という何者かの意思を感じずにはいられない。
というわけで、5年以内にビザンツをつぶすことが最初の目標に。

オスマンの国力にまかせてアドバイザーを全員雇い、アルバニアとビザンツをライバル指定。
アカイアに領有権を捏造させ、デシジョン"Denouncement of Sect Pracices"を採用。
エピロスに宣教師を送り、リーダー作成。
部隊移動を指定し、ポーズ解除。

ここまでテンプレ。

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プロヴィンス数1、兵力4000対27000。見事に絶望である。
生き残る方法はない模様。

アナトリア制圧

アルバニア軍を粉砕したらアナトリアの君侯国の外交関係をチェックする。
手軽につぶせそうなところからつぶしていく。
アルバニア占領部隊を残して軍隊を移動。

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今回はどの国も同盟を組んでいなかったため、一気に制圧する。
ビザンツ戦前にあまりマンパワーを減らしたくないのだが、結局速攻に徹することにした。
いつの間にかマムルークやクリミアと同盟していた、という事態は避けたい。

大概同盟関係から手を出せないところがあるので、今回は非常に運がいい。
さらに神イベントExellent Ministerが発生したおかげで安定度も+1。
順風満帆である。

ベネチアとビザンツが包囲網を組んでいるが、まあなんとかなるだろう。

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アナトリア制圧中、最初の後継者アブデュルメジト誕生。3/3/5となかなか。

コンスタンティノープルの陥落

1447年11月1日 ビザンツに宣戦布告

アナトリア制圧後、ビザンツに宣戦する。セルビアと同盟を組んでいるが停戦期間中なので問題はない。
問題はベネチアのほう。包囲網入りしているので停戦期間は無関係に参戦してくる。
速攻でビザンツ、アテネ軍を壊滅させ、上陸してくるベネチア軍を撃退する作戦を取る。

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コンスタンティノープルにたまっていた軍勢は、第一撃で殲滅完了。
結構残ることがあるので、これはうれしい。

翌年春には全土を制圧し、あとは占領を待つばかりとなる。

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947日って時間かかりすぎだろ。
ベネチア海軍のせいで海上封鎖できなかったとはいえ、これはひどい。

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なんとかビザンツ全土を占領。

しかし盟主がベネチアになっている。
アテネ、ナクソス、およびコルフも占領していて戦勝点は38%。しかしビザンツ併合はおろか領土割譲要求もできない。
「アルバニアの領有権放棄くらいなら考える」とのお言葉。ふざけるな。

ベネチアの同盟関係のチェックをすっかり忘れていたので、プロヴァンスと属国ロレーヌも敵に回っている。

どうせこないだろう、と思っていたのだが。
同盟国の危機に、プロヴァンスは10000以上の兵力を派遣する男気を見せる。
3000しかいないコンスタンティノープル包囲軍には目もくれずタルノヴォを包囲してくれたAIに感謝だ。
主力がテサロニキにいるところでワラキアあたりにひょっこり出現したのを見た時には、包囲軍全滅も覚悟したのだが。

ロレーヌも属国の身ながら10000近い兵を投入。
別々に来てくれたので助かったが、まとめてこられていたら危ないところだった。

アルバニアに上陸してきたベネチア軍との戦いもあり、一時マンパワーが10000近くに落ち込むという危機的事態に。
あまりマンパワーが減ると、マムルークがアップをはじめる。

ダルマティアやイストラを占領して戦勝点を稼ごうかとも考えたのだがモルダヴィア、ハンガリーの通行許可しか取れない。
あまりに遠回りすぎる。
ベネチア軍はまだ26000おり、遠征中に手薄なところに上陸される危険が大きすぎると判断。
あきらめて根競べに徹することに。

この時点で戦争疲弊は3.17。港の封鎖で毎月わずかだが上昇している。大丈夫か?

1451年12月5日 ベネチアと停戦 アカイアを獲得

ようやく割譲要求が通るようになったので、アカイアのみで妥協。
最初の一戦でビザンツを併合する目論見はもろくも潰え去る。
疲弊は3.53まで上昇。さらに粘ることも考えたが、マムルークが怖いので中止に。

ビザンツとベネチアが包囲網を組んでいた場合、ビザンツが盟主のままの場合もあるので賭けてみたのだが・・。
その結果がこのありさまである。

再戦

1454年初頭 ようやく厭戦が1を切る。
一時不穏な動きをしていたブルガリアの民族主義者も沈静化し、そろそろ軍事行動も可能なころあいである。
停戦期限切れまでじっとしているのも芸がないので、周辺を見渡してみることに。

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グルジアになにがあったのか。
ちなみに首都を占領しているのは農民一揆、コア化もできていないクバニを占領しているのはタタール人の愛国者たちである。

目立つのはキプチャクと黒羊朝の拡大。中核州のエルズルムが黒羊朝にとられているのは痛いところだ。

外交関係を確認してみるとトレビゾンドが孤立しており、グルジアと無意味な戦争を繰り広げている。
というわけで、まずトレビゾンドをいただくことに決定。

しかしここでベネチアが包囲網を離脱。関係改善を続けていた成果が出たようだ。
態度はまだ-91なのになぜだろう。
不要に刺激してまた包囲網入りされたくはないという理由から、トレビゾンド攻めは中止してビザンツとの停戦期限切れを待つことに。

1456年11月27日 ビザンツに宣戦(2度目)
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停戦期間切れと同時に、ビザンツに再度の宣戦。
すでにセルビアには同盟を切られており、包囲網を形成しているのはビザンツのみ。
画像は絶賛反乱中のロードス島に上陸するオスマン軍。いつの間にかビザンツ領になっていた。
こちらは5000のうち騎兵が2000おり、リーダーはshock3で相手はいっき。しかし同数程度で上陸戦だとどうしても不安である。

1458年2月10日 ビザンツ併合
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おまけで属国になったアテネ公国。いらない。

今度は特に語ることもなく併合。
併合直前、ロードス島への捏造を忘れているという重大なミスが発覚。
迷ったのだが結局即併合を選択した。
1460年代までビザンツが残ってるとかありえないだろ。オスマン的に考えて・・。

1458年ごろのオスマン帝国

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なんだか14年ですごい量になっているが次回以降、加速していく予定。


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Last-modified: 2013-12-22 (日) 21:45:46