AAR/Pax Sinica 古代神聖中華帝国の再興

内戦回避

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z.png 1520年の間に波斯(ペルシア)周辺を再征服*1し、天命の増減が+0.18まで回復しました。これで1524年には長いCivil War危機を脱することができました。

g.png 序盤戦略として早い時期にCivil Warを勃発させる手も考えておったが*2、普通に天命貯める方が楽じゃったのう。

t.png それから10年後の1534年には改土帰流を通せるまでになった。

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g.png 天命はHREのIAと比較して増えやすく、減りやすい。つまり、増えるときには一気に増えるが、考えなしに改革を進めて天命不足に陥ることもあるから、使い方が難しいのじゃ。

g.png 今回は改革よりも天命を高水準に保つことを第一に考え、天命が100の状態で十分な増加量があり、さらに天命ボーナスイベントが発生*3したときに改革を進めるようにしたぞい。

z.png その後も隣接する大国徳里(デリー)莫斯科(モスクワ)を削りまくった結果、天命増加は+0.32に達しました。間14年で1548年には海禁緩和を開放。

g.png この序盤から中盤にかけては外交官が忙しくなるから2つ目の改革は急ぎ足でとっておきたいところじゃ。この後は天命100を維持し、反乱の芽をつぶす方を優先するのじゃ。

Return to America

n.png 海禁の解禁でやってきた牛慈照(Cizhao Niu)なのだ。よろしくお願いするのだ*4

t.png 今のところ朝貢関係は取り上げるものもないから、牛くんには植民状況を担当してもらおうか。

n.png はいな!新大陸上陸後は6k部隊に征服者をつけ、原住民制圧政策をとって猛スピードで植民していったのだ。当然原住民は文明の武器で浄化されるべきなのだ*5

z.png そういやずっと前ですけど、アラスカに最初の植民地国家ができたんでしたね(1523年)。名前は何と?

n.png もう何度目の三帝冠プレイか知らない正統帝は、もう最初から植民地国家名を決めていたのだ!この新国家の名は「Terra Arcticae(北極の大地)」なのだ!

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g.png て、てっら・あるくてぃかえ?今まで一つ一つルビふってまでこだわってた中国語を捨てて何処の言葉を持ってきたんじゃ?

n.png そりゃもちろんLatina(ラテン語)est(なのだ). 羅馬帝国エンドを目指す以上、「明」という国号よりも後に残るであろう植民地国家の国名は当然Latina(モドキ)でつけられるべきなのだ!

t.png アホみたいな喋り方で変なこというなぁこいつ・・・

g.png そうじゃ、一つテクニック面で付け加えておくと、植民地国家は収支が+2.00(入植地1つ分の維持費)以上でないと自分で植民してくれないのじゃ。

n.png そう、だから属国管理画面で収支状況を確認しつつ、補助金を出して入植を進めてもらったのだ!*6

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t.png さらに南下して、本国から砲兵の増援も加えて入植したり征服したりして、1532年にカリフォルニア植民地が自立した。ここの名前はどうする?

z.png うーん、Wikipediaによると、カリフォルニアという地名は伝説の女王カリフィアから来ていて、そのカリフィアは回教(イスラーム)の「哈里发(カリフ)」に由来するとか。

n.png 欧州人にとっての哈里发(カリフ)・・・隣の文化圏の支配者の特徴的な称号・・・ハッ!

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g.png 何じゃShogunia(ショーグンの国)とは・・・

t.png 欧州にとっての哈里发(カリフ)と中国にとっての将軍って全然別の構図の気がするけど・・・

n.png なんかそれっぽくなったから、これでいいのだ!

z.png 1539年にメキシコ植民地が自立。ここは?

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n.png 史実じゃここにはNew Spain*7があったところなのだ。それに関連して、ここはNova Serica(新たな絹の国=中国)とするのだ。

g.png ようやくまともなのが来たのう。

t.png ちなみに画像で巨大化している(Xiu)は毎回瑪雅(マヤ)の大国となっている国じゃが、今回は阿茲特克(アステカ)瑪雅(マヤ)圏を統一してしまった。しかも天命稼ぎのために朝貢国にしたのが悪いのか、瑪雅(マヤ)宗教を改革する気配もなく長い間分裂しなかったせいで、納瓦特爾(ナワトル)は地図から消えてしまった。

z.png 1543年にコロンビア植民地が自立。史実ではNew Granadaがおかれたところですけど、これをアレンジするのは難問ですよ?

g.png たしかGranadaといえば、Spainが陸続きの土地としては最後に併合した、南方の国の名じゃな。

z.png 「陸続き」で「南方」で「最後に併合した」土地?明で言えば木邦(Hsenwi)から恐喝で奪ったMong Naiが陸続きの最南の領土ですかね*8

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t.png だからどうするってんだ、言っちゃ悪いがこんな地域名の拉丁(ラテン)語表記なんて天下のWikipedia様でも載っけてるはずが・・・

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n.png ・・・あったのだ*9。これで新植民地国家の名前はNova Mongnaiに決定なのだ!

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属国漫遊記

t.png 話を西方に戻そう。1527年から莫斯科(モスクワ)への侵攻を再開したぞ。

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g.png しかし明軍の不甲斐なさは相変わらずじゃのう。

t.png たしかにこの戦争で起きた戦闘は、1k2kの泡沫連隊を吹き飛ばしているのを除けば2勝6敗*10という散々な状態だったが、城塞を優先的に攻略していった結果・・・

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n.png 大勝利なのだ!これでもう莫斯科(モスクワ)も死に体なのだ。

z.png やっぱり俄罗斯(ロシア)圏相手に再征服CBを使うとアホみたいに領土を削れますねぇ。見た目ほど得しているわけでもないですけど、領土が大きく広がるのを見るのは愉快なもんです。

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z.png 1548年までに诺夫哥罗德(ノヴゴロド)喀山(カザン)両国のコアは回収しつくしたので、両方並べて併合を開始しました。画像では見えていませんが、はるか北方の科拉(コラ)半島も反乱のためか诺夫哥罗德(ノヴゴロド)に編入されているようです*11

g.png 属国と言えば、いつの間にか中央亚洲(アジア)がスッキリしとるのう。哈萨克(カザフ)はどこに行ってしまったんじゃ?

z.png 哈萨克(カザフ)?あれならもう1543年に併合済みですよ?

t.png 時系列がぐちゃぐちゃだなぁ・・・

n.png 前回プレイで荒ぶる哈萨克(カザフ)君を紹介したから今回は扱いが軽いのだ。

g.png では印度方面はどうなっておる?西欧に盗られたり下手に統一国家ができたりするまえに旨い金づるは押さえておきたいところじゃが。

t.png まず北西の德里(デリー)をそれぞれ削り、属国克什米尔(カシミール)を作った。印度に侵攻するとOEが苦しくなるので、100%を超過した分はどんどん克什米尔(カシミール)に渡してしまった*12

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1524年→1551年

z.png どうしてもこの地域での侵攻速度は遅くなりますね。AEが溜まりやすい彼らはもう包囲網常連です。

t.png ここまでくればあとはどうとでもなる。まず南印度をほぼ手中に収めている巴赫曼尼(バフマニー)を文字通り貫き・・・

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t.png 征服地のほとんどを属国毗奢耶那伽罗(ヴィジャヤナガル)に押し付ける!これで南印度征服のめどが立った!

g.png あとあとで続出する反乱軍ラッシュの後始末のことも考えてほしいのう・・・一戦中とはいえ巴赫曼尼(バフマニー)と隣接し天命増加がマイナスにふれたときははらはらしたぞい。

n.png そんな時のための天命100維持なのだ。

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t.png 最後に、手の空いた時にちょこちょこ進めた阿拉伯(アラビア)方面。忽里模子(ホルムズ)を蹴散らし、何となくそこにあった漢志(ヒジャーズ)コアを属国復活させ、この1555年時点であらかた覇権を握れた。

z.png しかしここまでくると、もう奥斯曼(オスマン)との対決は避けられなくなってきましたね。1558年9月には朝貢国波蘭に奥斯曼(オスマン)が侵攻、我々はやむなく(?)これを見捨てました。

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g.png 奥斯曼(オスマン)が我らの朝貢国伊拉克(イラク)と手を組んでいるのが問題なのじゃ。今の伊拉克(イラク)美索不达米亚(メソポタミア)の雄、奥斯曼(オスマン)と同時に敵に回せば戦線が広がり、面倒なことこの上ないのじゃ。

n.png お、どうやら内志(ナジュド)に迂回宣戦すれば、伊拉克(イラク)はついてこないようなのだ!(1559年5月)

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z.png よし、その線でいきましょう。まずは奥斯曼(オスマン)を孤立させること、それが臆病な正統帝の、決戦に向けた準備運動となるのです。

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1559年世界地図 属国ペルシア・ノヴゴロド・カザン・カシミール(緑)・ヴィジャヤナガル・ヒジャーズ(薄肌)

おまけ

東の地を求めて

t.png 1526年、ふと莫斯科(モスクワ)の情報を眺めていたら妙なものを見つけた。目ざとい読者は既出の画像でお気付きかもしれないが・・・

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g.png 瓦拉幾亞(ワラキア)莫斯科(モスクワ)の属国じゃと?あの奥斯曼(オスマン)に食われるだけが仕事の時報国家が?

z.png 可視域だけ見るとそんな不思議世界線の香りは(東端を除いて)しないんですけどねぇ。どういうカラクリになっているんでしょう・・・?

n.png 実はこんなカラクリになっていたのだ!

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z.png 遡ること40年前、1484年に波蘭・立陶宛が崩壊。それだけなら珍しくないですけど・・・

g.png 瓦拉幾亞(ワラキア)摩爾達維亞(モルダヴィア)を侵しているのう。いつもすぐ食われる奴じゃから、こいつがポリ圏に接していることをすっかり忘れとった。

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t.png しかもこの瓦拉幾亞(ワラキア)、1511年と1518年に克里米亚(クリミア)に大勝利、黒海北岸に大躍進を始めた!

g.png 何と!これはAIによるDraculas Revenge*13も夢ではないのでは・・・!

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n.png 結局夢だったのだ、これが。

g.png 残念だが当然

t.png ここに至って瓦拉幾亞(ワラキア)莫斯科(モスクワ)の対奥斯曼(オスマン)緩衝国として属国にされたらしい。そしてこの3プロビの亡命国家は1543年には併合され、消滅した。

z.png 戦場ではたびたび瓦拉幾亞(ワラキア)兵と戦いましたね。なかなか面白いものを見せていただきました。

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明軍を圧倒するモスクワ・ワラキア連合軍(不思議な字面)

三皇帝への系譜

1541年1月17日 弘治帝朱戴基 即位(23歳)
         朱治(1,3,2) 立太弟(21歳)
   1月20日 朱治 廃太子

1545年5月1日 波斯国からハイファ・ネリマー*14(Hayfa Narima)(4,4,4) 立后(24歳)
         朱基業(3,1,2) 立太子(0歳) 皇后弱体
   5月2日 朱基業 廃太子

1548年10月1日 朱慈烺(5,3,4) 立太子

年代記

波斯始末

ハイル・アルニサーの悲劇から僅か2年での朱戴基誕生・立太子に、人々は動揺と成化帝朱莫への反感を隠せなかった。宮廷に新風を吹き込もうとした彼女に好感を持っていた者は特に中級下級官僚に多く、一部は過激化して2年遅れで集団殉死したり、成化帝に直訴して投獄されたり、明をほったらかしてブリタニア帝国を建国していた正統帝を暗殺*15したりしていたが、谭皇后がハイル・アルニサーに深く敬意を表し弔ったこともあり、次第に事態は沈静化していった。

陸に背を向ける皇帝

ペルシアの女王の死が原因なのか結果なのかは定かでないが、この頃から成化帝は遠い製法よりも東方の海に関心を向けるようになる。国家視点から見た理由としては、エセン・シャーの金銭的・政治的・戦略的遺産を水泡に帰さしめたペルシアの後継者たちは恐れるに足らず、西方戦線の従順な手駒として放任できると判断したこと(この頃のペルシアは慢性的な財政難を抱えており、さらにエセン・シャーが征服王朝運営を柔軟にするために定めていた国教儒教を放棄、さらには自らの手駒であったはずのカザフをやすやすと明本国に明け渡してしまうなど、安易な道ばかり選ぶようになっていた。これ以降ペルシアは西方前線の矢面に立たされ消耗した挙句、消滅への道をたどることになる。)、インド方面の進出にめどがついたこと、そして何より、明朝自身が危機的な財政状況に陥っていたことであった。大規模な強制国債の発行は10度を超え、信用を失った債権の利率上昇は留まることを知らず、その総額は銀240万両(約30000ドゥカート) *16を越えたともいわれる*17

実のところ、これまでの征西は明の国庫にさほど恩恵をもたらさなかった。かつて絹の道と呼ばれていた西方交易路は商人や周辺勢力の利害関係がほとんど確定しており、これを明朝が整理し保護したところで利潤を吸い上げる余地はなく、ただただ軍事費が浪費されるばかりだったのである。
そこで成化帝が目を付けたのが、先代天順帝の御代に発見されていた、東の海の彼方に浮かぶ極北の島であった。ここに何らかの産業を興し、これを政府が独占する。このような中華皇帝としては妙に優れた経済感覚は、天順帝から莫大な負債を押し付けられて育った成化帝ならではのものであった。

幻の精鋭部隊

「極北島」と名付けられたこの地の入植には、明に服従した女真族やブリヤート人、カムチャツカ人が投入され、次第に彼らから極寒の地での生き抜き方を学んだ漢人商人や技術者もわたり始めた。彼らは原住民の村を見ると徹底的にこれを破壊し、建築適地を奪って乳直地(ruzhide)を広げていった。陸路で東方に進んだ遠征隊が立て続けに3つの巨大金山を発見したという報が中国に届くと、流浪者を中心に入植運動が加速し、ついに明本国からの総督付ではあるが自治政府を経営するまでになった。
これを拠点に、中国人は海岸沿いにさらに歩を進めた。この頃になると、国費で探検家を派遣する朝廷も私費で縄張りを広げようとする入植商人も、この東海の土地が島と呼べるようなものではないことに気づき始めていた。人々はこの新天地を、非公式に「新中華」と呼び始めていた。
彼らが南に進路を変えて大規模な部族と遭遇し始めるころには、新中華の商人たちは莫大な富を手にして、本国でも開発されたばかりの新兵器「火縄槍」を大量に買い集め始めていた。明本国もこの動きに乗じて有能な指揮官や行政官を派遣、植民地の統制に心を砕いた。
こうして「新中華」の辺境に、紅巾の乱以降改良が重ねられた大砲と銃兵・長槍兵が組み合わさった改良型西班牙大方陣による現時点で世界最強最先端の精鋭軍1万2000が出現した。原住民への拷問の末に「金が溢れ薄桃色の真珠を産する、女王が統治する大王国」の存在を聞き出した新中華軍は黒足族(Blackfoot)を蒸発させつつ南下する。しかしこの女王国は結局見つからず、先述の証言者もこの世にいないため聞き出すこともできず、結局この地を実が伴わない「将軍国」として朝廷に報告した。この野蛮な振る舞いに激怒した成化帝は、資金援助の停止をちらつかせつつ植民地政策の転換を命じ、以降は原住民の鏖殺を前提としない地道な方針*18がとられた。新中華軍の大部分は本国に召還され、後に西方戦線で使い潰された。

異文明との遭遇

その後、ややおとなしくなった新中華の遠征隊は、これまでにない一大文明圏と遭遇する。意思疎通の手掛かりを得ようとフィールドワークを繰り返すうちに、遠征隊はこの(Xiu)という国が、はるか東方に首都を置きながらこの西の辺境まで強固な統治基盤を築いている侮れない国家であることに気づき始めた。
3年の年月が流れたのちに遠征隊は(Xiu)の王都に入ることができた。幸いなことに、この国の王は遠征隊の身なりや話から、彼らの背後にある得体のしれない大帝国の存在を感じ取り、遠征隊を厚遇するばかりか、彼らの朝貢要請を二つ返事で承諾した。

(Xiu)から北京までの連絡には2年の時を要する。
遠征隊の平和的で粘り強い交渉、そして中華帝国圏の拡大の報告を、成化帝は死の床で受けた。彼は己の方針が正しかったという深い満足を味わい、今後の新中華における末永い平和と原住民国家との滑らかな共生を願い、遠征隊に「新絹国」の国名を賜った。その夜、成化帝は安らかな眠りにつき、そのまま30年の治世の幕を閉じた。

なお、(Xiu)進出の直前に科利馬(Colima)国を問答無用で滅ぼしていたことについては、遠征隊は意図的に報告しなかった。

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コリマの滅亡と、大国化した不気味なシウ

さて、かつて官軍から放逐された旧「新中華」軍の残党がより南方の大陸に上陸し、基多(Quito)国を蹂躙したのは成化帝崩御のちょうど1年前であった。彼らは隊長の生国の名をとって「新孟乃(Mong Nai)」と称する国家を建設し、北新中華での蛮行とは比べ物にならない壮絶な闘争を繰り広げていくことになる。

弘治帝朱戴基

この時期の年代記を編ずるにあたって史料を整理していた筆者は、大変なことに気づいてしまった。前巻の締めくくりとして「弘治帝朱戴基の治世が明激動の時代の始まりとなると述べたが、これは次代の正徳帝朱慈烺についての評とするべきであった。
では、この23歳で即位した弘治帝については何を語るべきだろうか。答えは簡単、なにも特筆することが無い。強いて言えば弘治四年(1545年)にペルシアからハイファ・ネリマーを皇后に迎えたことだろうが、これは父の成化帝と代わり映えがしない。なお彼女は誇り高い女性で自身の名を漢字表記することを拒み、その結果自身の基盤を持てず、実子朱基業の立太子即廃位を招いた。

外政面ではインドでの覇権をほぼ確立し俄罗斯(ロシア)方面の従属諸侯を併合し始めたりしていたが、これらは朝廷の弘治帝のあずかり知らぬことである。これだけ投げやりな治世と年代記の有様でも明帝国が拡張速度を維持できたのは、ひとえに世界でも傑出した官僚機構が整備され、皇帝の能力が国勢に影響しなかったためであろう*19

ハイファ・ネリマーは特に廃后されるようなこともなく、弘治七年(1548年)に朱慈烺を産んだ。この朱慈烺こそが明帝国最長の在位期間を誇り、その間に数々の大変革を成し遂げた名君となるのである。今度こそ。

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*1 ペルシアとカザフのコアを利用、するだけのつもりだったけど、欲が出て旧タバーリスターン領(ペルシアの南東)は自分で併合してしまった。OE10%越えでもCivil War突入までにはコア化完了するだろうと思っていたら、反乱軍がぞくぞくと湧いたおかげでコア化が遅れCivil War進行度99%までいってしまった。かなりビビった。
*2 同じ国難は2度勃発しない。
*3 改革を進めてからイベント効果をいただく。
*4 画像は隋の2代に唯一最後まで無事に仕えぬいた名臣・牛弘。知らーん・・・でも互動百科とか調べればちゃんと肖像も載ってるんだなぁ。
*5 原住民鎮圧が面倒なものだから以前のプレイでは共存政策をとっていたが、次第に「陸続きなら一部隊だけ鎮圧部隊編成して原住民皆殺しにすればどうせ反乱は起きない」ことにようやく気付き始め、最近は真逆の方針をとるようになった。正統帝は城壁破壊に平気で軍事点50をつぎ込むような人なので、軍事点1や2の消費などタダと同義に見えているのだ。
*6 金があればいいのかと思ってSend giftも試してみたけど、やっぱりGive subsidesで収支バランスにテコ入れしてやらないと意味が無かったらしい。
*7 スペインのほかの植民地国家はちゃんとスペイン語の名前が用意されているのに、どうしてヌエバエスパーニャとヌエバグラナダは英語表記になってしまうのか・・・
*8 実はこの流れは三帝冠チャレンジ2回目のときのもので、今回はまだこの時点でMong Naiまで達していない。でもこの流れは書いておかないと気が済まないのであるのである。
*9 ビルマ語とタイ語は現地語だし、英語版と中国語版があるのもまあいいとしよう。カタロニア語版と拉丁(ラテン)語版、君たちはいったい何なのだ。ついでに、この手の超マイナー記事にはなぜかカタロニア語版がよくついている。誰が書こうと思ったんだろう。
*10 これで結果的に大勝利となるのがEU4というゲーム。
*11 これがああなるとは思いもしなかったなぁ(次回へのヒキ)
*12 カシミール君が後にあんなことになるとは・・・(しつこい)
*13 バルカンを征服する実績なので方向が逆だが、最初から奥斯曼(オスマン)に立ち向かうより東方で力を蓄える方が実際に定石となっているらしい。試すつもりはない。
*14 中国語化放棄
*15 妙なセールのおかげでCK2をタダで手に入れて以来、そちらにハマってしまってました・・・記念すべき初回プレイでは、Mumuでアイルランド王国創設一歩手前、ウェールズ王位も継承間近というところまでいったが、考えなしに老女王にカタリ派信仰を告白させたら兄弟国イングランドに侵攻され、慌てて傭兵を雇いまくったら金がなくなって裏切られ、老女王を戦死させて何とか対イングランド聖戦を強制終了させたものの、金の恨みは晴らせずアイルランド全島を傭兵団に乗っ取られるという劇的な最期を迎えた。確かにこれはEU4と全然違う面白さがある。
*16 ヴェネツィア・ドゥカート金貨は3.545gで金含有率99.47%(頭おかしい)、124ソルド銀貨に相当。20ソルドは1リーヴル(491g)に相当する。一方中国では元代から用いられた銀錠(馬蹄銀)が1両37gなんだそうな(灰吹がない明代初期の品質は知らん)。という時代も地域レートも無視したWikipedia断片知識からの計算ですが、実際どうなんでしょう。貨幣史に詳しい方がいたら、しっかりした計算をお願いします。
*17 明の国家予算と考えると240万両ってそこまで大きな金額じゃなさそうと思ったけど、銀貨下落期の張居正が10年頑張って積み立てたのが400万両なのか。意外と妥当な数字なのかも。
*18 別にNative Policyは変えていない。単に原住民が多すぎて、全滅させるための軍事点がもったいないから攻撃しなくなっただけ。
*19 だんだん書くのに飽きてきてテキトーなことを言ってます

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Last-modified: 2018-06-05 (火) 15:20:19