AAR/Mare Nostrum by Byzantium

正史

一度は失われた帝国領土を6世紀に取り戻したユスティニアヌスの将軍ベリサリウスの功績は、その偉業をなしたがゆえに生まれた負債と荒廃した領土によって再び縮小の一途をたどる。

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ベリサリウスの再征服と6世紀の東ローマ帝国

630年にメッカを手に入れたイスラームは、ムハンマド死後の後継者争いを勝ち抜いたアブー・バクルの略奪行に始まるビザンツへの侵入を開始した。
サーサーン朝との長きにわたる戦乱に疲弊した帝国はなすすべなく、634年の邂逅から10年とたたぬうちにシリア、アルメニア、グルジア、エジプトはウマイヤ朝の手に渡る。
その勢いのまま670年までにチュニジアが陥落し709年にはモロッコ沿岸にまで到達。711年にはジブラルタル海峡を渡り、東ゴート王国とビザンツ帝国の残滓はイベリアから姿を消す。

チュニジアで総督の地位に就いたアグラブ朝は地中海を渡り、827年よりシチリアへの侵攻を開始。南イタリアのビザンツ統治は形だけの存在だと知らしめることになる。

南イタリアの回収、マムルークへのリベンジ

懲罰戦争が発生する状態になってしまったByzantiumは戦争の方針を転換し(もとから決めてたけど)、亡国の復興を足掛かりに勢力を拡大していきます。

準備としてSerbiaの併合、HungaryとAragonに種を植えたのち、

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1573年にNaples全土を、

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1583年にSyria全土を瞬く間に回収します。

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この時期になると初期のIdea(Defensive, Humanist, Offensive)の効果で反乱に兵力を割かれず高い軍質でイスラム諸国を圧倒できるようになっていました。

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最後の一つは対England用でしたが必要ありませんでした。

北アフリカの角逐

1444年の北アフリカはMorocco, Tlemcen, Tunisが覇権を競い、Castile, Portugal, Mamluksがすきを窺っている状態です。

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1463年、Tunisがサハラの小王朝を次々と併呑し勢力を拡大。このまま覇権を握るかに思われました。

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ところが、瞬く間にMoroccoが攻勢に転じ、100年の時を経た1562年に最盛期を迎えることになりました。

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これをByzaintumは見逃さず、1609年には漁夫の利を狙ったAragon領も含めてTunis旧領の再征服を果たします。

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北アフリカのNaples領は、譲渡先選択ミス

この隙をついたPortugalは同君連合下位としたCastileとともに1612年までにMoroccoの領土を侵していきました。
これ幸いとMoroccoも武力属国化を実行します。
それぞれ2度のPortugal及びエジプトとの戦争を経て、北アフリカに侵入した1587年からわずか70年足らずの1655年、紅海を含めたアフリカの北部沿岸をすべて手に入れることになるのです。

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躍進

属国作成とその併合による急速な拡大は、Byzantiumに突出した成長をもたらし、1600年を前後して列強1位の座を射止めるまでになるのでした。

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こうしてユスティニアヌス帝以来失われていた北アフリカ・エジプト・南イタリアを手に入れたByzantiumは世界に名だたる”帝国”としてその名を轟かせていくのでした。


AAR/Mare Nostrum by Byzantium/4話 リーメスとダキアの向こう側に続く...


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Last-modified: 2019-06-01 (土) 00:53:50