[[AAR/Mare Nostrum by Byzantium]] **正史 [#scaf6c4a] 西暦293年、皇帝ディオクレティアヌスは広大な帝国を2人の正帝、2人の副帝の計4人で分割統治する体制を整える。特にサーサーン朝ペルシアに対応する必要があるオリエンス道(トルコ、シリア、エジプト:東正帝ディオクレティアヌス)とゲルマン民族の侵入を阻むイリュリクム道(バルカン半島:東副帝ガレリウス)は重要な位置を占め、のちの東西ローマ分裂の国境線が徐々に明確になろうとしていた。 #ref(./By070.jpg,70%) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A2#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Wars-of-the-Tetrarchy.gifより引用 帝国の中心が東に移ったことで西側では各地の軍団による皇帝推挙が相次ぎ、統一した統治が覚束なくなっていく。帝国最北の地、ブリタンニア駐屯軍の長であったフラウィヌス・クラウディウス・コンスタンティヌス(コンスタンティヌス3世)が皇帝を宣言され407年に軍を率いてガリアで戦いを始めるに及んで、征服でも独立でもなく”撤退”という形でブリテン島はローマの支配から離れることとなる。 #ref(./By071.jpg,50%) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%A2#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Roman_Roads_in_Britannia.svgより引用 **最後の帝国領域 [#w31999e1] ローマ帝国再建に必要な州が残り二つとなった段階で、急激な拡張を続けたByzantiumは250年ぶりに大きな包囲網を組まれることとなります。主な構成国は欧州のドイツ諸国、Great Britain、Scandinavia、Brazil(イベリアから追い出されたPortugal)。 #ref(./By084.jpg,80%) 欧州の生き残りたち。 特に問題となるのは英国海軍と植民地国家の陸軍。これらの軍がByzantiumと同盟国のTransoxiana、PrussiaとUnited Statesの合計を上回った結果、懲罰戦争を仕掛けられることとなります。 #ref(./By080.jpg,90%) 英国海軍、大型船が多すぎる。 #ref(./By078.jpg,100%) 青が同盟国、赤が敵国。上位にPortuguese Mexico、Great Britain、Brazil、Caraibasが名を連ねる。戦後でもこの数。 Brabant・Russiaは直前にRussiaに仕掛けて停戦期間を作成していた。Brabantに宣戦されているともっと大変だったかも。+30万はさすがにしんどい しかしここで最初のOttomans戦と同様の陽動が効果を発揮します。インドに所有する属国MewarとMadurai、大西洋の向こうのUnited Statesと戦うため、英国海軍の大部分が本土を離れていきました。 #ref(./By054.jpg,80%) この隙をついてByzantium軍はおよそ1400年ぶりにブリテン島への上陸を達成。ブリテン島本土と弱小ドイツ諸侯を全土占領することでついにかつての領土の奪還を実現します。 #ref(./By072.jpg,80%) こうして1783年、Bizantiumは"Restore the Roman Empire"を宣言。 #ref(./By074.jpg,80%) #ref(./By090.jpg,80%) #ref(./By075.jpg,100%) Byzantiumの手によって、ついにRoman Empireは復興されることとなったのでした。 **その後と統計 [#a166102a] ローマ帝国の復興が成ったところで、本プレイは終了となりました。あと40年ほど残されているので欧州、エジプト、アラビア、メソポタミアといったローマ帝国崩壊の要因となった土地を征服するのは容易でしょう。 以下、各統計の最終結果を表示していきます。 ・収益 #ref(./By076.jpg,90%) 君主が余ったこともあり安定度、収入、Development、Power Pr.いずれも高く維持できています。Income2位のBrabantは収益の半分が交易から来ています。Hollandを奪ったのに、やはり低地地方は強力です。 君主点が余ったこともあり安定度、収入、Development、Power Pr.いずれも高く維持できています。Income2位のBrabantは収益の半分が交易から来ています。Hollandを奪ったのに、やはり低地地方は強力です。 ・交易 #ref(./By089.jpg,90%) 欧州を抑えたことで重要産出品のTrade Leaderになっています。Wine, Glass, Paper, Woolあたりが役に立っています。 ・技術 #ref(./By083.jpg,80%) #ref(./By082.jpg,80%) 技術は基本的に最先端を行き、時代を通して大きく遅れることは一度もありませんでした。 最後のInstitutionであるEnlightenmentは取らず、Great Britain、Russiaとライバル関係を保ち、PPを維持し続けることができました。 ・軍質 #ref(./By077.jpg,80%) Byzantiumの侵略を支えたのはトップクラスのMoraleとDisciplineです。陸軍超大国Prussiaと同等ですが、Disciplineはイベントもあって一時140%に達したこともあります。 ・国内状況 #ref(./By081.jpg,90%) #ref(./By088.jpg,90%) ローマ帝国らしくさまざまな文化が共存しています。宗教はByzantiumの国策の助けもあって、宗教アイデアなしで比較的改宗が進んでいます。Roman文化はLost culturesの一つなのでSub-culturesに初見のものが並んでいます。 ・君主 #ref(./By079.jpg,90%) 史実上の君主であるIoannes ⅧとKonstantinos Ⅺの後は、ほとんどが30年を超える長期政権となりました。特に15世紀のAlexandoros Ⅱ(AE減少と規律の特性持ち)、16世紀のAndreas Ⅰ(5-5-5、Rurikovich朝初代、61年の最長政権)、18世紀のHelene Ⅰ(女性君主、6-3-5)が名君といえるのではないでしょうか。Andreas Ⅰは後にBohemia、Galiciaとの同君連合のもとになったことも合わせて救国の英雄に申し分ない存在です。 ・世界と外交 #ref(./By091.jpg,80%) #ref(./By092.jpg,80%) 旧世界はRoman EmpireとRussiaを筆頭に、Transoxiana、Bahmanis、Jaunpur、Japan、Hsenwiが勢力を張っています。MingはRussiaと国境を接した結果、分裂が始まっています。 新大陸とAustraliaはGreat BritainとPortugalの植民地国家で占められていますが、Portugal系は独立欲求が高くいずれ独立していくことでしょう。 #ref(./By093.jpg,90%) 同盟関係は時代を通して大きく4フェーズにわかれ、Ottomans対抗同盟→周辺の大国→入れ替わり期→世界規模と移り変わっています。Memmingenとの短期の同盟は帝国解体を図ったものの、戦争中にうっかりMemmingen自身が皇帝になって破綻してしまいました。 **終わりに [#w940643f] 何度か挑戦しては踏みつぶされてきたByzantiumで生き残れただけでなく、ローマ帝国再建まで行けたことに感慨無量です。ここ数年は実績達成を目標にEU4をプレイしているため高難易度のものしか残されておらず、久々の大物の達成となりました。頻度は高くないかもしれませんが今後も戦略の共有も含めてAAR活性化を手助けできればと思います。 何度か挑戦しては踏みつぶされてきたByzantiumで生き残れただけでなく、ローマ帝国再建まで行けたことに感無量です。ここ数年は実績達成を目標にEU4をプレイしているため高難易度のものしか残されておらず、久々の大物の達成となりました。頻度は高くないかもしれませんが今後も戦略の共有も含めてAAR活性化を手助けできればと思います。 ------------------------------------------ [[AAR/Mare Nostrum by Byzantium]] ~Fin.~ TIME:"2019-06-08 (土) 19:42:07"